英邁なお父様と狂ったお母様…

モーニング娘。主演の「リボンの騎士・ザ・ミュージカル」を観にいく。

私は、きわめてゆる〜いモーニング娘。ウォッチャーでありまた、宝塚歌劇団の演出家
木村信司のファンなので、観劇は必須なのである。

娘。の面々の初々しい真剣さ、コメディエンヌぶり、けなげな可愛さに、幕開きから感激し、滂沱の涙…。(ダイジョウブか?)
各人の演技や魅力については他の方が存分に書いていると思うので、私は他の木村作品と比較した感想を書こうと思う。

リボンの騎士・ザ・ミュージカル」は手塚治虫・宝塚ロマンと木村信司カラーを存分に感じる事のできる一級のファミリー・ミュージカルでした。つんく♂色の無いモーニング娘。も新鮮。個人的には美勇伝の、馴染み薄かった二人の女の子の魅力をよく知る事ができた。(名前はまだ覚えてないけど…)

まず第一場、「Mystery of Life」を歌う娘。のまっ白い衣装での導入部は詩劇「スサノオ」を連想させられた。
そして、「女の子ってwowwowwow最高〜」と女の子に産まれた喜びを表現する第3場「フラフラ」は、木村演出の真骨頂であった。
「王家に捧ぐ歌」での♪エジプト〜はすごい!すごっ強っ!の侍女のシーン、
「暁のローマ」での♪カエサルは大物よ!の愛人たちのシーン
スサノオ」でのアオセトナ様スキスキ♪のシーン
など、男役がカッコ良く見えるシーンを作りがちな宝塚演出の中にあって、娘役パラダイス場面が存在するのが、木村演出の特徴だ。
そして、エジプトの侍女もカエサルの愛人も、「主人公の外側・対極にある存在」として描かれているが、今回も男装を余儀なくさせられているサファイアに対し、少女達は女子道を謳歌した存在であった。

木村は主人公(木村自身という事か)が立ち入る事のできない「女のパラダイス」を好んで繰り返し再現する演出家であるといえる。

第7場「牢獄」では暗い牢獄でフランツ王子が「あ〜なたに〜会いたい〜」と熱唱。
これは「炎にくちづけを」でマンリーコが「あ〜なたが生きている〜」とやはり熱唱するシーンに似ていた。
そして「王家…」のラストシーンでも、ラダメスは地下牢獄でエチオピアの草原を駆けるアイーダに思いを馳せる。
木村信司世界の男は牢獄で愛しい女を想うのである。
ランタン片手に牢獄にドレス姿で登場するサファイア亜麻色の髪の乙女)はそのまま、
「炎にくちづけを」のレオノーラのようであった。

第8場、魔女ヘケートの登場シーンは、「暁のローマ」でカエサルの暗殺を予言する女占術師が、雷鳴とともに階段を下りてくるシーンに酷似。
魔物の高笑いが響くなか行われる戴冠式は、これは木村演出ではないが「エリザベート」を彷彿とさせた。
「宝塚的」と感じたシーンはもうふたつ。宮殿で女の子達が人生を謳歌するところは「ベルサイユのばら」の♪オープランタンのシーン、そしてサファイヤが絶命するシーンも「ついに落ちたか…フランス、万歳!」の倒れ方と全く同じで楽しかった。

第10場 王位のシーン

「女に産まれたばかりに王位につけない この国の掟がいけない」という歌詞には
昨今の「皇位継承問題」が歌われていると感じた。

「王家…」ではアメリカのイラク攻撃、「スサノオ」では北朝鮮拉致問題などなど、木村演出に政治的メッセージはつきものだ。(これは私だけの深読みかと思ったらウィキペディアでの木村信司の項目にも書いてあって驚いた)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E4%BF%A1%E5%8F%B8

しかし、木村に限らず、宝塚歌劇の出し物は政治問題を扱うのがお約束である。

ベルサイユのばら」「仮面のロマネスク」ではフランス革命、「エリザベート」ではハンガリー独立運動、「国境のない地図」ではドイツ統一、「洛陽のパレルモ」ではシチリア戦争「ネバーセイグッバイ」ではスペインのファシストの脅威…ええええい、キリがないっつ。これはひとえに、宝塚の客である日本女性が基本的に政治に参加できないという不満を解消するためではないか、と私は思う。

リンチ(私刑)
リンチもまた、木村演出の大きな要素である。
まず「王家」で身分卑しいアイーダを、アムネリスの侍女達がはげしく罵りリンチ。
そして、凱旋で引きづられてきたエチオピア人達を「殺せ!殺せ」の大合唱。
鳳凰伝」ではペルシャ王子が歓声のなか処刑され、タマラはアデルマ姫により激しくムチ打たれる。
「炎にくちづけを」では、ジプシー親子の母が差別を受け火あぶりに、
そしてキリスト教徒によってジプシー皆殺しのシーンがえんえんと。
「暁のローマ」でも巧みな群衆操作によってカエサルは英雄視され、ブルータス一派はリンチされて逃げる…って、ほんとにリンチシーン多いですね。

リボンの騎士」ではサファイアが女とわかった瞬間、登場人物(モーニング娘。が、ですよ!)がにわかに殺気を帯び、サファイア母娘を糾弾する一幕の終わりが圧巻であった。

第2幕 2場「戦いのとき」では、舞台中央に登場したフランツ王子が雄雄しい雄たけびをあげる。これは、「王家に捧ぐ歌」でのラダメスを連想させた。
同じく、戦士トルテュ(亀井絵里)はケペル(立樹遥)、ヌーヴォ(新垣里沙)はメレルカ(柚希礼音)の役を踏襲しているように感じた。

そして、親子関係。
木村演出は親子関係を好んで描く。
鳳凰伝」も、まず主人公の誕生を喜ぶ二人の親のシーンから幕が開き、中国王の期待に応えようと国を統合するトゥーランドット姫が描かれる。
「王家に…」では、父王ファラオの死により乱れるエジプトを、けなげにも立ったアムネリス姫が統合しエチオピアを滅ぼしに攻め込むのであった。
リボンの騎士」も、父王は死んでしまうが、♪幼い頃 お父さまが結んでくださったリボン を胸にけなげに戦うサファイヤなのであった。
ここで、美しい関係を築いているのが父相手だという点に注目して欲しい。

鳳凰伝」には母は登場しないが、コラサン王国のアデルマ姫の乳母は「姫さえよければどんな悪事でもよし」という態度でカラフに呪いの言葉を吐き、「炎に…」でマンリーコの母は命の限り息子を溺愛する。「暁のローマ」ではブルータスの母はカエサルの愛人であった。
リボンの騎士」での母王妃は、サファイアを愛しているが自白剤を飲まされ、国民の前で女である事を暴露してしまいサファイアを窮地に陥れる。また、母の命とひきかえに女の魂を魔女ヘケートに捧げてしまう。
父は尊敬できるが、母には苦しめられる運命である。

最後、手塚治虫のイラストパネルが現れ、「この世界をつくりし者に拍手を」という手塚賛歌のシーンがあったが、「海のトリトン」の髪型が手塚版ではなくアニメ版(スタッフルーム版)であった。いいのかい手塚プロ
それを眺めながら、

木村信司も原作者・手塚のプレッシャーをはねかえし、オリジナル性を盛り込んだという点で、富野由愁季みたいだなあ…風貌も似ているし)などという感想を持った。


おわり。