大発見!「砂の器」はあのジャンルだった…

以下の文章は、2005年8月発行の「サブカル評論第8号」に掲載されたものです。

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砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

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05年7月1日、デジタル・リマスター版「砂の器」を東銀座東劇にて鑑賞。
観ている最中から、私の血圧はあがり、手は汗ばんだ。
ラスト・シーンとなったとき、感動に泣きはらしつつも、私は確信した。
(す、「砂の器」、おまえもか…!)

映画「砂の器」には「望まない子供」、または「子供を持つことによって起こる不幸」という呪いが、密かに描かれているのである。

まず、幼い頃に母を亡くし、愛情に飢えている和賀英良こと本浦秀夫。飢えているがゆえに女性を求めるが、真剣に愛する事はできない。高木理恵子は遊び相手であり、田所佐知子は出世に利用しただけ。しかも二人とも胸の無いガリガリちゃん、女性性・母性の符号を持たないという点が二人の共通点であり、秀夫にとって魅力に感じるところなのであろう。
それなのに理恵子は和賀の子供を身ごもってしまう。
過去がある・らい病の遺伝を恐れて・父になる恐ろしさ・出世の妨げ…等が理由なのか、和賀(秀夫)は頑固として理恵子の出産を拒否。
そんな和賀の態度に怒った理恵子は「どんな子どもでも、あなたよりは幸せよ!」という捨て台詞を残して泣きながら夜の街をさまよい続け…。流産によって路上に倒れ、運ばれた病院で急死してしまう。
しかも運ばれた病院で「あんまり出血が多かったから、てっきり交通事故かと思って…婦人科だったら何とかなったかもしれないが」
と医師が困惑しているさなかに、ピー……と心停止。
酷い。和賀に遊ばれ、証拠隠滅工作までさせられたのに、和賀が手を下す事なく都合よく勝手に死んでしまう理恵子。しかも運ぶ病院を間違えられるというオプションまでついている。
この理恵子のエピソードが、まず第一の「子を持ったために起こった不幸」。

そして、そもそもらい病にかかってしまった本浦千代吉がに子どもがなければ、自らの命を絶つ事もできたかもしれないが、秀夫がいたために、死ぬ事もできず巡礼の旅を続けなければならならなかった。
これが、第二の不幸。

そして千代吉親子を救った三木夫妻のささやかな幸せは、養子となった秀夫の失踪によって壊されてしまう。
本当の親のように深い愛情で接していた三木夫妻の心は、かたくなになった秀夫には届かず、失踪されてしまう。
幼い子どもに絶対的に拒絶された不幸を乗り越えるため、三木は執念で秀夫を探したに違いない。
そして、見つけた秀夫本人によって殺害されてしまう。
子ども(養子)を貰わなければ、こんな悲劇はなかった筈である。

三木の元を去ったまだ幼い秀夫が、いったいどうやって和賀自転車店の丁稚になれたかは謎だが、和賀夫妻も秀夫を受け入れたために戦災で死んでしまう。
ここまで徹底するとアッパレというものである。

翌日、参考までに本屋に行って
斉藤美奈子著「妊娠小説」(ちくま文庫)を購入。
この本は、「日本近代文学の多くの名作には、望まない妊娠によって男が悩み苦しむという、妊娠小説という一大ジャンルがある」という視点で森欧外「舞姫」、石原慎太郎太陽の季節」、三島由紀夫美徳のよろめき」などを解説した名著である。
映画「砂の器」も近代文学のセオリーに従って「妊娠小説」的要素を盛り込んだのだろうか。



妊娠小説 (ちくま文庫)

妊娠小説 (ちくま文庫)